研究授業の見方

研究授業の参加の仕方

授業を見る心構え

ただ「授業を見せていただこう」という感覚では、得られるものは多くはありません。
そうではなく、「自分ならどう授業をするだろうか?」と考えながら、自分が授業者になったつもりで見ることが大事です。「主体的・対話的で深い学び」は教師も同じです。学ぶ対象に対して主体的に向かうことができなければ、対話的な学びも、深い学びもなかなか生まれてきません。だからこそ、「自分ならどう授業するか?」という心構えが大事です。
担任したことのない学年の授業だったとしても、いつか担任する可能性があるので良い機会だと捉え、教材に目を通してから参観しましょう。研究授業であれば、児童の実態や授業のねらいも明確に示されているはずです。そのクラスを担任した時、自分ならどんな授業をするかを考えつつ授業を見れば、自分なりの疑問が生じるはずです。その問いこそが、教師自身の重要な学びのきっかけになります。研究授業をまず自分ごととして捉え、参加者自身が授業を主体的に考えて行く場所だという心構えで望むことが大切です。
研究授業の見方

観察場所

多くの教師は授業の邪魔にならないよう、教室の後ろ側から授業を参観しています。しかし、授業は教室前方から子どものつぶやきや発言、動きや表情等の言動を見ていくのが基本です。学びの主役は子どもです。そのため、授業は子どもたちの言動を見てとりやすい前方から見ることが基本です。教師の言動(原因)があって、子どもの変容(結果)が生まれるので、教師の言動について考えることは間違いではありません。しかし、子どもの変容を見なければ、その原因となった教師の言動がよかったかどうかは判断(評価)できません。だからこそ、授業では前(少なくとも横)から子どもの言動を見ることが基本です。

もちろん、授業を後ろから見るのは、子どもたちの集中を削がぬよう配慮しているのでしょう。しかし、子どもにとって「主体的」に学びたくなる授業であれば、授業参観者によって集中力を奪われるのはほんの一時です。本当に楽しいことが目の前に現れれば、周囲は見えなくなるでしょう。もしいつまでも子どもが授業参加者ばかりを気にしているとすれば、それは学習課題が学ぶ意欲を刺激するものではなかったり、子どもの特質に配慮したものになっていなかったりするなど、問題点がある授業と言えます。

また、日々の授業づくりで悩む教師にとっては、他の教師の授業中の言動を真似たいと考えるでしょう。しかし、教師の言動も子どもとの関係を見通して観察しなければ意味がありません。同じ言動でも、それによって子どもがどう動いたか、どう変わったかが違えば、その言動の意味や評価は変わります。だからこそ、授業は前から子どもの言動を中心に観察します。

研究授業の見方

観察対象

授業を観察する時は、教室全体を見るのではなく、子ども一人、もしくはごく少数に絞り込み、その子たちの言動を授業を行う教師の言動との関係で見るのがよいでしょう。実際に最近の校内研究会では、そのように見る子どもを絞り込んで複数で手分けをして全体を見とり、ワークショップ形式で、その見とりを共有しながら協議を深める例が多くなってきました。

見る対象は、基本的には集中の続かない子など、学習を進める上で難しい特性を持っている子に着目するのがよいでしょう。そのような子は、授業が面白くなかったり、分かりにくかったりするとすぐに集中力が切れてきます。そのような変容が起こったとき、教師の言動のどこに問題があったのかを考えながら見ていきます。もちろん、その逆もあります。それまで手遊びをしていた子が、身を乗り出して学びに向かい始めた時、教師のどんな言動が効果的だったのかを見ていきます。集中の続きにくい子は授業のリトマス試験紙のような存在で、授業の良さも課題もわかりやすく示します。

そのような特徴をもった子が、自分のクラスにいる子と似たような言動をする子であれば、自分の授業を考え直す上でも大きな参考になるでしょう。例えば、教師の説明時間が5分を超えたら集中が切れてしまうと気づけば、それ以上の長い説明はやめる。子ども同士の説明なら集中して聞けると気づけば、そのような改善策を行えばよいです。もちろん子どもは一人ひとり違うので、必ず当てはまるとは限りませんが、自分自身を見つめ直すよい機会になるはずです。
研究授業の見方
経験が多くない時期から、自分の授業を冷静にふり返って改善を図るのは難しいでしょう。しかし研究授業の場で、難しい特性を抱えた子に着目しながら、他の教師の授業を主体的に考えて行くことができれば、結果として自分の授業を見直すこともできるはずです。授業を見ることに慣れてきたら、自分の学級が抱えている課題に応じ、着目対象を変えていけばよいです。対象となる子を選んで観察しましょう。

観察の視点

新学習指導要領では、「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」という3つの資質・能力の育成を求めています。その中でも、大半の授業研究で扱われることになるのは、「思考力・判断力・表現力等」の育成場面です。そのためには、学習の過程を丁寧に見ることが必要です。
授業間では算数ならば「解けたか、解けなかったか」と行く結果に目が行きがちです。しかし結果だけでは、本当に子どもが思考、判断、表現したのかを見とることはできません。算数が苦手な子は、目指す答えにたどり着けていなくても、その子なりに思考していることはよくあります。一方、算数が得意な子は、解や解放が正しく出せたとしても、予習等ですでに問題を解く方法を知っている場合もあり、それでは「知識及び技能」を働かせているに過ぎません。結果ではなく、一人ひとりの子どもの学びの過程を見ることが必要です。
研究授業の見方

分からない子はわからないなりに、既習等を振り返って考えようとしていたか、あるいは友達の考えを聞いて理解を図ろうとしていたかといった様子を見ます。分かっている子ならば、一つの解法だけでなく、多様な解放を見つけようとしたか、その中で最も「はやく、かんたんで、せいかくな解法」を見つけようとしたか、わからない子にもよりわかりやすい説明をしようと工夫していたかといった、学びに向かう過程を見ていきます。それができていなかったとすれば、その時にどのような発問や支援を行っていけばよかったかを考えていきます。

協議会ですること

「自分がこの授業を行うのだったら、どうするか」という自分なりの視点があれば、必ず「なぜこの場面でこう発問したか」「この場面はこういう学びの方法ではダメだろうか」といった疑問が生じるはずです。それを素直に発言していくことが大切です。
経験の少ない教師は、疑問や意見があったとしても「こんな質問をしてよいのだろうか」とためらうこともあるかもしれません。しかし、そんな心配は必要ありません。実は学びを深める上では、一見無駄に見えるような問いや初歩的な疑問がとても重要だからです。よい授業をする教師ほど、子どもの間違いや突飛な意見を出しやすい環境を作り、そこから学びを深めていきます。それは教師にも同じことです。もし、そのような問いが笑われて終わりになるとすれば、その研修会に参加した教師には学びの本質が見えていないのかもしれません。
研究授業の見方
学ぶということは、わからないことがわかるようになることであったり、ぼんやりと分かっているつもりだったことがより明確になったりすることです。端的に言えば、思考が変容することです。それは子どもであっても教師であっても変わりません。重要なのは、最初から正しい発言が行われることではなく、対話を通してより深まって行くことです。だからこそ、自分の意見をはっきり言える場が必要なのです。それが学びの大前提です。このような授業をつくるには、教師自身が恥ずかしがらずに主体的に疑問を投げかけ、自分自身の考えを伝え、対話して深く学ぶことが大切です。
研究協議の進め方

「主体的・協同的で深い学び」を考える研究授業

今回、カリキュラム・マネジメントが強調されており、6年間かけてどのような子どもに育てていくのか、教員同士で共通理解を図り、それを元に学年ごとの計画を考える必要があります。そう考えると、研究授業のあり方も変える必要があります。

例えば、算数の授業で協働的な学びに取り組む際、自力解決までは1時間で行い、2時間目は協働的に学ぶ場面を設定するというような2時間続きの研究授業も増えてきています。また、研究競技では「まとめ」や「振り返り」を考えていくことも大切です。子どもが、この単元、あるいはこの時間の前後で、自分がどんな風に変わったのかを振り返って考えるわけですが、その際にいくら教師が深い学びを実感していても、子どもたち自身がそれを自覚し、自分の学びをメタ認知できていなければ、目指すところを達成できていません。

さらに、学習の「めあて」についても議論が必要です。簡単に教師が設定する形式的な「めあて」は本当に子どもにとっての目当てになっているのか、子どもたちが主体的に数学的活動に迎えるのか。そのように、目指す子供の姿を考えながら協議を深めていけたら良いと思います。

教育技術 矢ノ浦氏、清水静海氏 より〜